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アメリカの大学卒業後、帰沖。当時、翻訳会社で共に働いていた創業メンバーと共に29歳で有限会社アンテナを起業。米軍ビジネスコンサルタント、SAM・WAWF代行、法律手続きに関わる証書の翻訳、インバウンド対応事業、沖縄におけるMICE実施支援などが主な事業。外国語に関するサポートをトータルで提案できるのが強み。社員のほとんどが外国人ということもあり、グローバルな視点とローカルの商感覚を併せ持つ唯一無二の存在。
もっと見る1980年に父が脱サラして創業した際は建設機械の販売を主としており(後にレンタル業へ)従業員は甥が1人という状況。1987年に愛媛で就職していた宮城氏の兄が帰沖し入社後、有限会社大宮工機設立。1997年に、大手電機メーカーに勤務していた宮城氏は総務経理として入社。同年、濁水処理事業がスタートします。入社後すぐに超アナログだった会社に、いち早くPCを導入。以来、環境経営や障がい者雇用など次々と改革に着手。同友会活動を自社に取り込みながら『良い経営環境づくり』を追求し続けています。
もっと見る前職のNPO法人ライフサポートてだこは、2002年に設立。浦添市を活動の拠点として、高齢者や障がいのある人たちとその家族、または一般市民に対し介護・福祉系サービスを提供する事業や街づくりに関する事業でした。前代表が市長出馬するため、突然の代表となった友寄氏。同時に同友会の浦西支部副支部長も引き受けることに。同友会活動を通して、会社も自身も成長したと語ります。
もっと見るマエダ電気工事株式会社は、父である先代が1963年に創業。
主な事業内容は、電気工事サービス・高圧受変電設保守管理サービス業・電設資材卸売業ですが、建築工事会社からの下請けは一切行わず、直接企業や行政と取引するのがポリシー。大きな失敗も経験し、社員と向き合う覚悟を決めた時に、自身も会社も大きく変化したと語る真栄田氏。徹底した経営理念の実践と社員への浸透が重要と語ります。
1970年、衣類クリーニングを中心にスタートした株式会社丸忠ですが、創業者である義父から事業を引き継いだ際は、債務超過の状態。喜納氏が2001年に代表となってから、リースキン事業とハウスケア事業、トータルコーティング事業にシフト。厳しい経営環境の中で取り組んだのが『採用と教育』。経営指針の実践はもちろん、同友会での共同求人や社長・社員共育塾で人育てにしっかりと取り組んできたことが、健全な財務体質と企業風土づくりに役立ったと語ります。
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