輝く経営者の声をきく(経営体験報告)
石原地江
  • 有限会社アンテナ
  • 代表取締役 石原地江氏
  • 沖縄県中小企業家同友会 副代表理事

アメリカの大学卒業後、帰沖。当時、翻訳会社で共に働いていた創業メンバーと共に29歳で有限会社アンテナを起業。米軍ビジネスコンサルタント、SAM・WAWF代行、法律手続きに関わる証書の翻訳、インバウンド対応事業、沖縄におけるMICE実施支援などが主な事業。外国語に関するサポートをトータルで提案できるのが強み。社員のほとんどが外国人ということもあり、グローバルな視点とローカルの商感覚を併せ持つ唯一無二の存在。

海外での経験と世界観で起業へ

大きな笑顔と楽しい話題から石原氏の周りはいつも人が集っている。パワーあふれる石原氏は、その生い立ちからかなりユニーク。2歳で父親のロンドン大学留学へ同行し、高校時代にワシントン留学。アメリカの大学在学中にリュック1つで世界旅行をした経歴を持つ。帰沖後、ダイビングショップで働きながら旅行代理店や、英語が使える場を求め通訳会社へ転職。スポーツイベントをきっかけに、当時の同僚メンバーと29歳で起業。2000年に開催された九州沖縄サミットでは、通訳やリエイゾンスタッフを多数派遣して活躍。アンテナ独自のスキルが活かされる結果に。今まで裏方だった通訳が、ビジネスの現場に必要な存在へと変化してきたと語ります。

9.11テロをきっかけに仕事激減

起業して以来、『仕事を探してくるのが社長の仕事』と考えていて日々奔走。増減はあったものの、公共の仕事なども受注し、頑張れば仕事はあるという状況だったそう。ところが9.11テロをきっかけに民間の国際交流はストップ。基地がある沖縄は危険というイメージが広がり創業以来の危機となります。同時期に、一人娘が大病になり出社さえできないという状況に。その時に立ち上がったのが、社員たち。米軍基地が原因で仕事がないなら、基地の中なら仕事がある!と米軍の入札という新しい事業を開拓。これが会社を立て直すきっかけにつながったそうです。この経験から、今まで仕事人間で突っ走てきたのが、社員はパートナーであり社員に頼らないと仕事は成り立たないということに気づいたそうです。

石原地江

初めて本音で語り合ったことで、
会社に変化が

勉強会で参加した際に、当時同友会の役員していた方から『あなたは経営の勉強をすべき!』と勧められ入会。しかし入会時はなじめずに1年ほどは足が遠のいていたとか。それが女性経営者部会『碧の会』の例会に参加した際、グループ討論で『会社は自分と創業メンバーで起業したから、続けるなんて考えていない、そこそこで良い』と爆弾発言。その場にいた先輩女性経営者に雷を落とされ、なんと2か月後には自身が例会報告者として発表することに。この時から真剣に経営について勉強するようになり、同友会の学びを深めるようになったそうです。

人は人でしか磨けない

経営者としての覚悟を持ってからの同友会活動は、支部活動から始まり体で覚えていったという石原氏。グローバルな感覚を持つ石原氏は同友会活動を活性化するアイデアも多く発案し、支部長から副代表まで一気に活動の幅を広げていきました。同友会の魅力を聞くと『同友会は、社長が社長を磨く唯一の場所であり、ベテラン経営者も起業仕立ての経営者も同じ立場で語れる場が貴重』とその魅力を熱意を込めて語ります。また、自分の失敗も成功も親身になって語り、自社の経営計画書さえも開示し一緒に悩んでくれた先輩がいたから今がある。私自身が同友会に育ててもらったから1人でも多くの経営者に同友会の良さを伝えたい!だからこそ良さを伝えていくという姿勢には、人に磨かれた経験への感謝と思いが強いことを感じました。

石原地江

経営のバトンを次の世代へ

3年前から社員への事業承継を準備しており、現在40代の男性社員と共に経営やマネージメントを学んでいます。自動翻訳機もますます精度が上がる中、『文化を理解して伝えることは人でしかできない』と信じ、「どのように付加価値をつけて事業を推進していくのか。幹部メンバーと毎日、グループ討論が欠かせません」ピンチのときは、いつも斬新な切り口で新境地を拓いていった経験があるからこそ、自社のDNAを残したいと語る石原氏。同友会らしい人間尊重の経営がここにあると感じました。

会社概要
有限会社アンテナ
  • 創業:1997年
  • 資本金:500万円
  • 従業員:正社員7名 バイリンガル登録約80名
  • 事業内容:米軍ビジネスコンサルタント、SAM・WAWF代行
         法律手続きに関わる証書の翻訳
         インバウンド対応事業
         沖縄におけるMICE実施支援
  • HP:https://www.antenna-okinawa.co.jp/
経営理念
  • 私たちは、言葉や商習慣の違いを解消するサポート企業です
  • 私たちは、外国へ販路を拡大する企業をサポートします
  • 私たちは、互いを助け合い、なかまの目標をサポートします
宮城光秀
  • 有限会社大宮工機
  • 代表取締役 宮城光秀氏
  • 沖縄県中小企業家同友会 代表理事

1980年に父が脱サラして創業した際は建設機械の販売を主としており(後にレンタル業へ)従業員は甥が1人という状況。1987年に愛媛で就職していた宮城氏の兄が帰沖し入社後、有限会社大宮工機設立。1997年に、大手電機メーカーに勤務していた宮城氏は総務経理として入社。同年、濁水処理事業がスタートします。入社後すぐに超アナログだった会社に、いち早くPCを導入。以来、環境経営や障がい者雇用など次々と改革に着手。同友会活動を自社に取り込みながら『良い経営環境づくり』を追求し続けています。

父に反対された入社

大学卒業後、大手電機メーカーに就職していた宮城氏。大手での順風満帆なサラリーマン生活を捨てて家業に入ることを当初、創業者である父は反対していたそうです。それも当然、宮城氏の入社当時は17名いた社員のうち、半数は親族で仕事の進め方も超アナログ。月末になると残業当たり前という状況だったそう。組織化せねば!という意識と、整理されていない仕入れ、売上、商品管理などを管理するところから手がけていきました。台帳など紙ベースだったものを当時まだまだ高価だったパソコンを購入しシステム化。IT化に大反対だった社内も徐々に受け入れるようになったそうです。

宮城光秀

入社2年後に出会った同友会

同友会への入会は入社して2年後。本来なら当時取締役だった兄が入会すると思いきや、他団体に入会したので同友会へは宮城氏が入会することに。しかも、2年間は活動していない幽霊会員だったそう。ところが、同友会大学の受講をきっかけに、経営指針作成講座、南部支部の支部活動など次々と同友会の部会やプログラムに参加。今では、入会資格のない碧の会(女性部会)以外は、ほぼ関わっているという状況に。ここまで同友会活動に惹かれたワケを聞いてみると、幹事長や支部長など役職を重ねていったことで組織運営が学べ、経営者としての視点が広く持てたと語ります。同友会ではよく『役が人を育てる』と言いますが、まさにその言葉のまま。自社へ活かしてきたことがわかります。

学んだことは自社カスタムして実践へ

宮城氏は、同友会での学びをどうやって自社に落とし込むかが大切と言います。まず、自社のなりたい姿を追求したところ、大きな3つの柱が明確に。1つ目は『ITの活用』。社内のペーパーレス化から始まり、ICタグを利用した自社開発のレンタル管理システムは高い評価を受け、多くの表彰や認定を受けるほどに。2つ目は『環境経営』。工事現場などで発生する赤土が混ざった濁水を処理し、河川や海に放流する濁水処理装置は自然を守る取り組みとして評価されています。また、濁水処理装置1台レンタルごとに養殖サンゴの苗を移植放流する取り組みも実施し、沖縄の美ら海を守っています。3つ目は『障がい者の雇用』。施設外就労の訓練生を受け入れており、1年の訓練を経て正社員へと雇用しています。この3つの柱を自社の強みとして掲げているそうです。どれも、なかなか実現が難しく思えますが、宮城氏はトライ&エラーを繰り返し自社に合うようにしていくことが重要と語ります。浸透しないのはまだ落とし込めていないから。とことん自社カスタムすることが定着に繋がると語る表情からは、コツコツと積み重ねてきた経営者としての努力が感じられました。

ITの活用
ITの活用
養殖サンゴの苗を移植放流
養殖サンゴの苗を移植放流
施設外就労の様子
施設外就労の様子

経営者同士で学べる唯一の場所

同友会の魅力を問うと『経営者同士が自分の経験をベースに経営を学び合える唯一の場所』と語り、だからこそ経営者は会社の大小に関わらず全てを学び続ける必要があるとキッパリ。お互いの経営体験を赤裸々に語りあい、例会で報告を聞きグループ討論する中で課題を共有したり解決の糸口を見出せるのは同友会だけだと強調します。ほぼ全ての同友会活動に参加している宮城氏ですが、自社の弱点を知るには同友会の企業変革支援プログラムで定期的にチェックしているのだとか。同友会を『やる意義』を追求する姿勢はさすがです。

経営者としての次のステージ

長らく社長を務めていた兄から事業承継を打診され、2021年に代表取締役に就任。コロナ禍の中、会社を引っ越し自社物件へ。同年に創業者であった父が亡くなり経営理念、経営方針を見直すことに取り組み変更。社員の待遇改善や、残業を減らす取り組み、土曜日の休業日を増やすなど経営者として精力的に動いているのがわかります。さらに、すでに次の承継を考え部長を取締役に昇格。若い世代を役員にしていくことで、きちんと次代へバトンを渡せるようにしていきたいと語る宮城氏。その見つめる先には、同友会活動を糧に、時代と共にアップデートしていく自社の未来を描いているようでした。

会社概要
有限会社 大宮工機
  • 設立:1980年
  • 資本金:1500万
  • 従業員:34名
  • 事業内容:建設機械・器具のレンタル、修理及び販売
         建設機械・器具のレンタルに付随する業務
         濁水処理装置のレンタル及びそれに付随する業務
  • HP:https://www.ohmiyakouki.com/
社 是
  • 人を想い 人が育ち 人に尽くす
  • ~誇りと働きがいをもてる企業をめざす~
経営理念
  • 人々の豊かなくらしと環境保全に貢献する
経営方針
  • 私たちは、安全を最優先に活動し社員および関係者の幸せを追求します
  • 私たちは、お客様の満足を第一に考え真心を込めて考動します
  • 私たちは、企業活動を通して互いに学びあい成長・発展します
  • (同)Green Star OKINAWA
  • 代表社員 友寄利津子
  • 沖縄県中小企業家同友会 副代表理事

前職のNPO法人ライフサポートてだこは、2002年に設立。浦添市を活動の拠点として、高齢者や障がいのある人たちとその家族、または一般市民に対し介護・福祉系サービスを提供する事業や街づくりに関する事業でした。前代表が市長出馬するため、突然の代表となった友寄氏。同時に同友会の浦西支部副支部長も引き受けることに。同友会活動を通して、会社も自身も成長したと語ります。

まさに青天の霹靂だった事業継承

中学時代の同級生であった前代表から、高齢者が慣れ親しんだ地元で暮らし続けられるような介護事業を興そうと誘われ、共に起業したのが2002年。浦添市への地域愛の深さから、あえて事業範囲を浦添市のみに限定し地域に根ざした活動を展開していきました。開業時から友寄氏は、副代表としてサポート。主に現場で活躍していてその状況で続いていくと思っていた矢先、まさかの前代表が市長選へ立候補することに。しかも、選挙の半年前の相談だったので、とても、自分では務まらないと最初は、会社を閉めようと話していたそうです。しかし、悩み抜いた末に代表を引き受けることを決心。もともと、現場の中心で働いていたので経営のことは何もわからず、心構えもないままの事業承継。不安だらけのスタートでした。

代表就任と同時に同友会活動もスタート

前代表から引き継いだのは、会社だけではなく同友会活動も。それまでにも、同友会の例会やセミナーなどには参加していたそうですが、いきなり前代表がやっていたからと浦西支部の副支部長を引き受けることに。会社と同友会の役員活動まで同時承継だったというから驚きです。しかし、この経験が大いに役立ったと友寄氏は振り返ります。経営のことは全くわからないゼロからのスタートだったので、まずは数字の見方から。事業経営計画書や就業規則もあるけれど内容がわからないというところから、がむしゃらに勉強していったそうです。
さらに、一年後には浦西支部の支部長となることに。当初は、先輩経営者からの苦言に悩むこともあったそうですが、『成長して欲しいから言ってくれているんだ!』という事に気付いたことで人間的にも成長できたと話します。

支部長時代の総会
条例の学習会

支部活動と会社の経営は両輪

支部長時代に、浦添市の浦添市中小企業・小規模企業振興基本条例の策定も経験。政策づくりから関わった事は、大変なことも数多くあったものの大きな財産になったと語ります。思いがけない事業承継だけでも想像を絶しますが、同時に同友会活動でも中心となる支部活動で支部長となり、中小企業・小規模企業振興基本条例制定までやりきるパワーに、友寄氏のしなやかな中にも芯の強さを感じます。リーダーとして、引っ張っていくことができないと同友会でも、会社でもできない。だからこそ、『支部活動と会社の経営は両輪』と友寄氏。

私は、社員に育てられた経営者

がむしゃらに学んで、経営者として順調に進んでいた印象でしたが、社員から呼び出しを受け『会社を潰す気ですか?』と責められる厳しい局面もあったそうです。苦境の時、友寄氏は、大きく変化を感じた2つのポイントがあったと語ります。1つは、経営指針を作成した時。2つ目は、社外での学びは辞めないと自分の覚悟を決めた時。同友会活動始め、社内に不在が続くことを不安視する社員もいたそうですが、友寄氏は社員も積極的に同友会の例会やセミナーに参加してもらい学ぶ環境を整えていきました。もちろん、自分自身も数字を見れるようになり冷静に社内外のことが把握できるようになってきたそうです。その姿勢が社員にも伝わり徐々に、友寄氏の『こんな会社にしてきたい』という思いが浸透。社員がいたからこそ、自身の成長に繋がったと語ります。

居続けて、学び続ける

会社の中で経営者がやるべきことを考えると、最初はいかに儲けるか?というように目先の利益を追いかけてしまいがちですが、今は経営者がやるべきことは、人づくりだなと感じるそう。同友会活動も同じで、仲間づくりは良い経営者を作るための人づくりだし、良い経営者が増えることは、地域づくりにもつながります。今まで、会社がキツイ時もあったそうですが、苦しい時こそ同友会へいくべきだと言います。経営者が本音で語り合えて、時には泣き言も言えるのも同友会の良さ。そのためには、居続けて学び続けることが大切。人を知り、人と関わり続けることが成長につながると話す友寄氏からは、思いがけず置かれた経営者という役を受け入れ、努力を重ねた上に見事に咲かせた落ち着きがあります。
そして今、また新しい会社をスタートさせました。

会社概要
(同)Green Star OKINAWA
  • 設立:令和4年2月14日
  • 資本金:300万円
  • 従業員:5名
  • 事業内容:居宅介護支援事業所
経営理念
  • 一、経営理念を通して新しい価値を創造し地域の発展へ貢献します。
  • 一、成長する喜びを共感し専門性と人間力を高め感謝・感動・希望を広めます。
  • マエダ電気工事株式会社
  • 会長 真栄田一郎氏
  • 沖縄県中小企業家同友会 相談役

マエダ電気工事株式会社は、父である先代が1963年に創業。
主な事業内容は、電気工事サービス・高圧受変電設保守管理サービス業・電設資材卸売業ですが、建築工事会社からの下請けは一切行わず、直接企業や行政と取引するのがポリシー。大きな失敗も経験し、社員と向き合う覚悟を決めた時に、自身も会社も大きく変化したと語る真栄田氏。徹底した経営理念の実践と社員への浸透が重要と語ります。

プレイヤーではなく、マネジメントを目指せ

高校進学時に家業のことも考え、理系に進学するものと考えていたところ、創業者である父から『電気の技術に捉われるのではなく、経営者になりなさい』と諭され、文系に進学。大学卒業後は、マエダ電気工事株式会社に入社したものの、すぐに住友電設九州支店へ出向し3年の勤務予定が、先代が心筋梗塞で倒れ2年足らずで帰沖。専務として就任したものの、年上の常務に回復した先代社長もいて決定権もなく歯がゆい日々。また、自身に電気工事の知識がないため見積もりさえ作れず、他社に依頼して作成してもらうという有様でした。
その頃、取引のあった同業他社が会社を畳むと聞き、工事部長として活躍していた人材をマエダ電気へ移籍させることに成功。技術的な面でのマンパワーが充足しました。(後日談として、他社からも声がけは多くあったそうですが、真栄田社長の人柄に面白さを感じて入社し、今でも活躍されています)

社員と向き合えず、新規事業で大赤字

2001年には、正式に社長へ就任したものの、社員とのコミュニケーションは取れずに退職者が続出。『社長、話があります』と、話しかけられ、退職届を出されるのが一番怖かったとか。現実を直面するのが恐ろしくて外部活動に逃げ場を求め、飲み歩くようになっていました。経営計画書などは作っていたそうですが、会社で説明しても信頼関係が築かれていないので社員は冷ややかな反応。『成功して見返してやる!』という気持ちから、本業とは全く関係ない新規事業をスタート。新しい事業を成功させて実績を作ると意気込んだものの、結果的には大赤字を出すことに。
しかし、この大赤字をきっかけに大きな転機を迎えます。

初めて本音で語り合ったことで、
会社に変化が

初めて一泊の合宿を全社員で行い、社員一人ひとりからホンネで語ってもらうと全員からクレームの嵐。『社長を信用できない』『新規事業は失敗すると思っていた』など、耳を覆いたくなる発言に、最初は怒りを感じていたものの次第に心から申し訳ないという気持ちに変化。最後には泣きしながら社員全員の前で、『電気事業に専念します』と宣言。ここから、真の意味で経営者として、人間としてのスイッチが入りました。

まず取り組んだのは『自分を律すること』『経営の中心に社員の幸せを置くこと』。すると、今までは、話をする時に主語が『お客さんが』だったのが『社員さんが』というように変化したそうです。さらに、合宿で社員も一緒に経営指針を作るようになったことが社員の意識も変化したと語ります。その頃、以前に自身が作成した経営理念も見直そうとしたところ、変える必要性がないことに気付き、その代わり、より理解を深められるように『想い』を追加。理念と併記することで、社員に浸透するようになったそうです。

同友会の学びと経営指針作成講座

真栄田氏は、同友会の中でも重きを置いている経営指針作成講座に長く関わっています。講座の内容を経営者が作成しており、即実践できること、さらにサポーターになるのも経営者なので受講生に現場の経営体験を伝えられるのが大きな魅力と語ります。
真栄田氏自身が特に経営指針には重きを置いており、自社の経営指針作成は毎年全社員で合宿を行い作成。日頃から、損益計算書も理解できるようにしているので数字目標の設定など今では社員が作成すると言います。つまり、経営指針作成は『会社の計画=自分たちの計画』にすることで、自身の行動に変化が生まれたそうです。
自社の経験があるからこそ、同友会の学びにも活かせると真栄田氏は語ります。

目標とする経営者がいるのが同友会の良さ

同友会の魅力は『こうなりたい!思える経営者がたくさんいること』と語る真栄田氏。社員との関係性も見えるので、その人の考え方や生き方を直接、学べるのが同友会の学びとも。1つのエピソードとしてある時、新事業失敗でどん底だった頃に3年後に利益が出たら軽自動車から憧れていた車を買うつもりだと先輩経営者に話したそうです。すると、目標を持つのはいいが、社員に理解してもらえるようにしないといけない。相談せずに欲しい車に乗ることは辞めなさいと諭されたそうです。3年後、実際に利益は出たけれども分相応のものに。こんなことを忠告してくれるのは同友会の仲間だけと語ります。

『経営の話をこんなにホンネで語れるところはない』と明るく話す真栄田氏に、経営理念とは?と尋ねたところ『自分を軌道修正してくれるもの』『自分の目指すところを示してくれるもの』と力強く宣言。大きな失敗や、困難があったからこそ経営理念や経営指針の重要性を感じるのだと思いました。

会社概要
マエダ電気工事株式会社
  • 創業:1963年
  • 資本金:2,000万円
  • 従業員:35名(2018年3月現在)
  • 事業内容:電気工事サービス業、高圧受変電設備保守管理サービス業、電設資材卸売業
  • HP:http://www.denkiya-no1.co.jp/
経営理念
  • 「人の役に立ち社会から必要とされる企業であり続ける経営をします」
  • 「やりがいのある活力に満ちた職場を目指し、 社員とその家族が明るく豊かな生活を営むことのできる経営をします」
  • 「社員の資質の向上が組織の発展である」
  • 株式会社丸忠
  • 代表取締役 喜納朝勝氏
  • 沖縄県中小企業家同友会 代表理事

1970年、衣類クリーニングを中心にスタートした株式会社丸忠ですが、創業者である義父から事業を引き継いだ際は、債務超過の状態。喜納氏が2001年に代表となってから、リースキン事業とハウスケア事業、トータルコーティング事業にシフト。厳しい経営環境の中で取り組んだのが『採用と教育』。経営指針の実践はもちろん、同友会での共同求人や社長・社員共育塾で人育てにしっかりと取り組んできたことが、健全な財務体質と企業風土づくりに役立ったと語ります。

ゼロどころか、マイナスからのスタート

東京の大手ゼネコンで充実した日々を送っていた時に、義父に会社を継いで欲しいと請われ帰沖。当初は、義父が資金繰り担当で喜納氏は営業の先頭になり奮闘していたところ、会社が債務超過であることが発覚。社長交代が条件の再建策に難色を示した義父と折り合わず、家族と共に横浜へ。数年後の97年に『もう、任せる』という義父からの連絡で再度帰沖。喜納氏は『離れたことで、創業者の思いも理解でき自分にも反省すべき点があることに気付けた』と語ります。義父と喜納氏の間で苦悩した、奥様に対しても感謝の気持ちしかないと言い切る姿に、継承した際の苦労を乗り越えた夫婦としての絆を垣間見えました。(奥様は、現在は専務として会社を支えています)

社長社員共育塾
合同企業説明会

まず取り掛かったのは人育て

同友会には97年から入会していたそうですが、まず『社長・社員共育塾』からスタート。同時に尊敬する経営者から新卒採用も勧められチャレンジすることに。学生に、敢えて会社の厳しい状況を開示し『だからこそ、一緒に頑張ってほしい』と熱意を伝えたそうです。女性社員の採用も行い、産休育休の制度を整え、人を育てる仕組みづくりを社員と一緒にやってきたと語ります。その姿勢は、実を結び当時の新卒採用した社員は、現在では採用担当して活躍。苦しい時にこそ、人材の採用と教育に取り組むことの重要性を感じます。

大切なのは自分の人生

喜納氏は必ず毎年、社員と共に一泊研修を行いその中で『自分の人生のグランドデザイン』を作成。『自分がどう生きたいのか?』という問いを繰り返すことで、ビジョンを明確にしていきます。さらに、『大切なのは自分の人生であり、人生を豊かにするために会社というステージを使うのだ』と言います。何のために、誰のために働くのかを一人一人が考えることは、会社からの押し付けのビジョンではなく、自分自身のビジョンとなるのでより浸透するという効果が感じられました。

人間力を磨くことの重要性

もう一つ、経営理念やビジョンを浸透させるために重要視しているのは『人間力を磨くこと』と語る喜納氏。特に大切にしているのは『朝礼』と言います。その内容はグループ討論をした後に、発表するスタイル。傾聴と発言することを磨く場にしているそうですが、同友会の学びを自社に上手く取り入れている上に、習慣化しているのは流石と唸るばかりです。さらに、人間学を学ぶ月刊誌『到知』をテキストに社内勉強会も実施。関心のある記事の感想を述べ合うそうですが、ポイントは必ず褒めることだとか。お互いを尊重する社風づくりに役立てているのを感じます。

同友会の理念に共感

同友会の『社長・社員共育塾』には第1期から参加しているほど熱心に取り組まれていますが、特に徹底していると感じたのはグループ討論で話し合った後、必ず社内でフィードバックしているという姿勢。社員はもちろん、社長である自身も必ずレポートを提出し、共有しているそうです。『社長・社員共育塾』に継続して参加することが、組織風土づくりの源となっているのが伝わりました。『同友会の人を活かす経営を自社で実践している』と話す喜納氏に、なぜそこまでできるのかを伺うと、とにかく同友会の理念に共感するし、同友会の歴史や労使見解の成り立ちを知るとますます学びたくなると、きっぱり。参加すればするほど謙虚にもなるし、自社の経営課題のヒントが見つかるとも。理念の実現に向けて常に進化し続けたきた事が、人を大切に活かす企業へとつながる事を感じました。

会社概要
株式会社 丸忠
  • 設立:1977年
  • 資本金:4800万円
  • 従業員:44名 パート・アルバイト6名
  • 事業内容:リースキン事業:家庭用、業務用ダストコントロール商品のレンタル
  • 代理店事業:ダストコントロール商品の代理店さんへのリース
  • ハウスケア事業:事務所・店舗クリーニング、ハウスクリーニング、
  • トータルコーティング事業:新築の住宅のフロアコーティング“ミラーコート”、水廻りのコーティング“クリスタルコート”、窓ガラスの断熱フィルムの施工など
  • HP:https://kireimaru.jimdo.com/
経営理念
  • 一、キレイには人を幸せにする力があることを広め、幸せな社会づくりに貢献します。
  • 一、快適で心地よい環境づくりを通して、お得意様の発展と幸せづくりのお手伝いをします。
  • 一、仕事を通して人間力を磨き続けることを喜びとします。