

- 株式会社アイセック・ジャパン
- 代表取締役 一瀬 宗也氏
- 沖縄県中小企業家同友会
副代表理事
福井県小浜市生まれ。名古屋大学卒業後に日本アイ・ビー・エムで28年間勤務。400人規模のコールセンターをうるま市で立ち上げたこともあり早期定年退職後、2008年9月株式会社アイセック・ジャパンを設立。聴覚障がい者向けサービスとして、ライブ字幕サービスや電話リレーサービスなどを提供。『日本を救う次世代ベンチャー起業100社』にも選ばれ社会貢献度の高い注目企業としてスタート。急成長するも起業支援事業で社員を増やしたら助成金打ち切りと共に大ピンチ。不動産を売り払い自身も切り詰めた時に同友会の仲間に助けられ資金繰りも安定。社員と向き合い、経営者として決して諦めない心は同友会で学んだと語ります。
早期退職して起業した途端にリーマンショック
日本アイ・ビー・エムで28年勤務後に、50歳で早期退職し、2008年9月株式会社アイセック・ジャパンを設立。ちょうど、産業振興公社のベンチャー育成連携事業に応募し、見事採択。画期的な聴覚障がい者向けサービスとして全国的にも注目を集めます。順調にスタートとしたところ、リーマンショックに重なりいきなり売り上げゼロに。急場しのぎでパソコン教室をはじめたところ、失業者向けの職業訓練校となり、さらに障がい者職業訓練を県に提言し受諾。まさに波乱のスタートとなりました。
成長期に、同友会入会
2010年12月25日 聴覚障害者の知人から遠隔情報保障を教えられすぐ行動し、長野サマライズセンターと協業。さらに、佐賀県の樋渡武雄市長とつながり、議会議事録や速報に使えるということから2012年より武雄市議会ライブ字幕開始。全国に広まるだろうという期待が高まります。そして、同時期に同友会に出会い入会。雇用就労支援フォーラムにも出席するようになります。勢いはとまらず、日経BP『日本を救う次世代ベンチャー起業100社』にも選出。多くのメディアに取り上げられ、会社としてまさに成長期を迎えます。

助成金打ち切りになり、倒産の危機に直面
2013年9月 起業支援型地域雇用創造事業採択されたことから武雄市議会のような全国の議会運営に備え、社員を追加雇用し106名になります。ところが武雄市以外の発注がなく助成金も終了。自己都合で辞めた以外の約80名の雇用を守ろうと奮闘しますが、2015年には社会保険が払えなくなる事態に。広尾の投資型マンションを売却したりしますが、とうとう年末から給与支払いが遅れ出し、2016年3月に苦渋の決断で希望退職者を募り、大規模なリストラを開始します。会社としてまさにどん底の倒産の危機に瀕します。
同友会の仲間に助けられ、債務超過脱出へ
このままだと潰れると悩みを抱え、同友会に出向いた際に同友会会員のコンサルや税理士を紹介され、そこから経営改善計画承認を受け銀行の支払い猶予に繋げます。この間は自身を律することにも徹底し、一旦は同友会の役員も全て降り役員報酬も15万。飲み会やゴルフも禁止して極限まで節約生活実行。徐々に好転しはじめ、最大50名、総額1373万円の給与未払いを2年で完済。2022年に債務超過からも脱出することに成功します。労働基準監督署からは普通1人でも未払い給与がでたら訴えられるのが常だけど50名も未払給与の人がいたにもかかわらず、一人も訴えなかった事に感心されていたとか。一瀬氏が社員一人一人と信頼関係ができていたからこそだと感じます。

経営者はあきらめてはいけない
波乱万丈の経営人生ですが、これまでの反省として当初は会社の数字を経理任せで見ておらず、助成金を売り上げとしていたが現在は経理システムを導入し今日の数字が即わかるように改善。また、『良い会社』実現のために雇用を守ることに固執してしまい、判断が遅れたことを反省します。しかし、同時に一瀬氏は、『経営者はあきらめてはいけない』と語ります。大切なことは事業を継続すること。人を生かす経営の本質を見たように思いました。
社会弱者に貢献する企業へ
現在は、業績も回復し社員数も85名までに増え、平均年齢も38.6歳と活気に満ちている様子を伺うことができます。感謝の気持ちを示すため沖縄ろう学校へ100万円の寄付もできるようになりました。また、新サービスとして聴覚障害者向け電話サービスも開始しています。AIの台頭など経営課題はありますが、一瀬氏は社会弱者に貢献する企業としてこれからも社員と共に歩んで行く決意を持っています。その柔和な笑顔からは想像もつかない熱い思いは、逆境をあきらめずに進んできた経営者だけがもつ覚悟を感じることができました。
- 設立:2008年9月1日
- 資本金:3,990万円
- 従業員 社員数:85人(障害者雇用5人、在宅20人を含む)
- 本社:うるま市 那覇市 名護市 福井県
- 事業内容:■モバイル型遠隔情報保障サービス(e-ミミ) ■電話リレーサービス
■ビジネスライブチャット関連サービス提供 ■文字起こし・データ入力 - HP:https://www.iscecj.co.jp/
- 経営理念
●(科学性)
最先端の技術を駆使し 革新的で信頼性の高い
情報保障サービスを提供する 世界一の企業となる - ●(社会性)
真心と信念をもって 社会貢献ビジネスを展開し
持続可能な社会を推進する企業となる - ●(人間性)
多様性を認め合い ともに協力・成長し続け
働く喜びを共有し 笑顔あふれる企業となる

- 株式会社グラシアス沖縄
- 代表取締役 田上 カルロス氏
- 沖縄県中小企業家同友会
副代表理事
父は福岡2世、母は沖縄2世というペルーの移民3世としてペルーで生まれ育った田上氏。1989年にインフレで大混乱の故郷を離れ、当時好景気の日本へ働く場を求め日本語も話せない状態で来日。当初は首都圏の工場で勤務していたが、母方の故郷である沖縄へ移住。その後、アルバイトをしながら独学で猛勉強し定時制高校や職業訓練校に入り、基本情報処理技術者などの国家資格を取得。縁あって県内のIT開発会社へ営業職として入社。1年目から優秀社員となり活躍し取締役までなり21年間勤務する。48歳の時に、沖縄に恩返ししたいという思いで起業。前職時に同友会は幹部として参加していたが経営課題を抱え再入会。自社や地域の課題をDXで解決すべく同友会の学びを実践している。
大混乱のペルーから、決意を持って日本へ
日系3世としてペルーで生まれ育った田上氏。ペルーの東大と言われる国立大学に入学するも、当時のペルーはスーパーインフレで社会は大混乱。講義も教授によるストライキで受講できない状況が続いたためこれからはITの時代と考え在籍のまま、専門学校に入学。しかし使用できるPCはたった2台。高額なPC代金(当時で2000ドル。お父さんの年収の25年分)を稼ぐために当時、好景気で沸いていた日本で働くことを決意。一言も日本語を話せない状況で1989年来日。首都圏の工場で勤務していましたが、高卒で同じ工場で働く日本人は車も家電も持っていて豊かに暮らしている事実に愕然となります。しかし来日後斡旋業者に騙され、ビザ更新するために1度帰国。その際に両親へ自分は2度とペルーへ帰らないと宣言し退路を断ちます。
沖縄移住。猛勉強の末に、国家資格も取得
再来日後は、工場勤務を辞めて『日本人と一緒に仕事をしたい』と母方の故郷の地である沖縄へ移住。アルバイトをしながら独学で猛勉強し定時制高校へ入学。日本語能力検定も2級取得していたので、当時日本人でも難しいと言われた職業訓練校のOAコースに入学。26歳の時には情報技術者としての国家資格を取得。その後、縁があっ県内のIT開発会社へ入社。ところが、開発者としてではなく仕事は営業職。無理だろうと言われていたところ、生来の負けん気で1年目から優秀社員となり3年目には売り上げ1億円プレイヤーへ。その後は経営幹部として常務取締役まで登り詰め21年間勤務しました。

46歳で起業。
しかし茨の道が待ち受ける
当初はITで起業は考えていなかったのに、お客様に開業を勧められた上にメーカーまで応援してくれて2014年に『グラシアス沖縄』を起業。社名のグラシアスはスペイン語で『ありがとう』の意味。沖縄という土地、人々、そしてすべての出会いへの深い感謝の気持ちを込めて名付けたそうです。創業1年目から新規開拓に奮闘し、2年目には奥様が入社。順調に見えましたが、最初に採用した社員が辞めてしまうという事態になります。その時、思い出したのが同友会。前職では経営幹部として社長社員教育塾や支部活動など参加していた経験があり、同友会の良さを知っていたため、2017年に再入会。そこから自社の経営課題に取り組みはじめます。
経営指針作成と企業変革プログラムの取り組み
経営指針はあったものの、経営理念と10年ビジョンを作っていないことに気付き、早速取り組みます。さらに、同友会にも積極的に参加しどんどん学びを自社に取り入れていきます。さらに同友会独自のプログラムである『企業変革プログラム』を定期的に更新し、自社の状況を正確に判断。数値化されているため、データ分析をしながら自社の改題改善へ活用していきます。段々と売り上げも伸び、社員も今では10名にまで増えました。田上氏は、同友会運動で経営指針、企業変革支援プログラム、景況調査、研修、例会、仲間づくりをしたことで気づきを得ることができたと語ります。
取り組むべきDXに気付き
新規事業スタート
順調ながら将来の不安を感じていた時に、自社の経営課題と学童保育が取り巻く社会問題を解決すべく新たなビジネスモデルを構築し新規事業としてスタートします。それは自分の地域にどんな学童クラブがあるかわからず、入所を検討するにも情報取得や資料収集が煩雑だった現状を解決するサービスでした。『Genkinako』と名付けられたポータルサイトは学童と、行政、保護者の悩みを一気に解決。今後の広がりが期待できる新事業となりました。
ITの力を通じて、人と人、
地域と社会をつなぐ
言葉も通じない日本へ単身で来日し、努力を重ね起業までした田上氏ですがそんな苦労を感じさせることはなく、いつも明るくてパワフル。そして『沖縄で起業して良かった』と語ります。本土にいた頃は、外人と呼ばれていたけれど沖縄の人々は、そんな自分をあたたかく迎え入れてくれ、笑顔で受け止めて、励まし、支えてくれたと言います。『沖縄の温かみとゆいまーるがフィットしたからこそ、本気で沖縄にITの力を通じて貢献したい』そう話す田上氏。
彼の生き様からは勇気とパワーをもらえます。

- 設立:2014年 7月
- 資本金:3,000,000円
- 従業員:10人(2025年5月現在)
- 事業内容:システム設計・開発・運用・管理・保守
ネットワークシステムの設計・構築・運用管理・保守
業務用クラウドサービスの導入支援・販売 自社開発クラウドサービスの提供
業務に必要なIT機器・ソフトウェアの選定・提供 ITコンサルティング - HP:https://gracias.okinawa/

経営理念
- 心とこころをITでつなぐ
- 人間中心のIT利用
技術と感情の融合
コミュニケーションの向上
社会貢献
- 私たちは明るく、楽しく
CHA!CHA!CHA!

- 有限会社仲松ミート
- 執行役員 仲本 和美氏
- 沖縄県中小企業家同友会
健障者委員会委員長
姉夫婦が創業した有限会社仲松ミート。立ち上げから携わっていましたが、結婚し嫁ぎ先の事業をするために退社。20年のブランクを経て2014年に再び復帰。総務、経理、営業、さらに商品開発までこなす八面六臂の活躍を見せる仲本氏。さらに、障がい者雇用を取り入れることで会社にも大きな変化をもたらします。障がい者雇用から『人を生かす経営』の実践を体現しています。
仲松ミートブランドをつくる
冷凍食肉の卸や加工をしていますが、大手食肉会社の委託販売を請け負っており冷凍食品やお惣菜も販売しています。また、祝祭用や慰労会などのヤギ汁やBBQ商品も自社の主力商品です。しかし、以前から冷凍ではなく常温でも販売できる商品の開発を考えていたので、補助金なども活用し自社商品を開発。それが、瓶詰めの『ハンチュミ』(宮廷料理のひとつで沖縄版肉そぼろ)です。ショッピングモールやふるさと納税にも採用され、自社ブランドとして花開いています。

次なるは新商品はドッグフード開発
無類の動物好きである仲本氏。現在、取り組んでいるのは『ドッグフードの開発』。 実は、警察犬訓練も受けているシェパード3頭は愛犬。美味しくてヘルシーなドライフードを開発しドッグフードの分野でも仲松ミートブランドを広げたいと取り組んでいるそうです。その発想力と実行力には感服しました。


同友会の健障者委員会活動
2007年の障がい者雇用就労支援フォーラムが同友会入会のきっかけであり、翌年にはすぐに分科会の発表者となったことから同友会参加がスタート。すぐ健障者委員会に参加し、現在は委員長を務めています。なぜ、熱心に障がい者雇用に取り組むのか?仲本氏には障がいを持っている息子さんがいらっしゃいますが、理由はそれだけではないと話します。さまざまな経済団体がありますが、健障者委員会があり全国の経営者仲間と学びを深めることができるのが同友会ならでは。だからこそ、委員会活動に取り組む意義があると考えています。
企業価値を上げる障がい者雇用
中小企業が障がい者雇用に取り組みにはハードルが高いと考えるかも知れませんが、仲松ミートでは作業を細分化し、役割を徹底化。現在では、4名の障がい者雇用を実現しています。会社は60代も多いそうですが20代がメインである彼らを雇用したことで、会社全体に活気があふれ、今では何も言わずとも業務が回るようになっているとか。実際に経験しているからこそ仲本氏は障がい者雇用は、企業価値を上げることに繋がると確信しています。
人を生かす経営の実践
健障者委員会を20年近くやってきて感じることは、障がい者雇用は決して難しいことではなく、大切なのは『経営者が関わりをもつ意識』と語ります。法定雇用率も段階的に引き上げられることを考えると、今から勉強することは経営者として重要。中小企業でも合理的配慮をしながら雇用は可能であり、これこそが同友会が大切にしてきた『人を生かす経営』の実践。そのためには、障がい者だからと言ってサービスや商品も妥協せず『買いたいと思わせるモノづくり』や作ったものに誇りを持てるスキルも大切。仲本氏の目標は常に高みを目指しています。

- 設立:1982年
- 資本金:500万
- 従業員:社員パート総数 25人(障害者雇用4人含む)
- 事業内容:冷凍食肉卸売販売 / 冷凍食肉加工卸販売 / 冷凍食品加工下請け業務 / そうざい製造業
- HP:https://nakamatsu-meat.co.jp/
- 私たちは、美味しい食文化を創造する。
食への感謝と社会とのつながりをとうして、
ひとりひとりが好奇心や冒険心をもって輝く豊かな社会の実現を目指す。

- 株式会社 赤マルソウ
- 代表取締役社長 座間味亮氏
- 沖縄県中小企業家同友会 代表理事
1950年に祖父が創業した株式会社赤マルソウは、沖縄を代表する老舗調味料メーカーです。祖父である具志堅宗精氏はオリオンビールの創業者でもあり、戦後の沖縄財界をリードした企業家です。味噌、醤油からスタートした赤マルソウでしたが平成に九州の提携工場に醸造を委託。さらに、会社も那覇市首里から糸満市へと移転。会社が大きく変化するタイミングで当時、社長であった叔父に請われ入社した座間味氏。老舗企業を承継したものの待ち受けていたのは数多の苦難。そんな時に入会したのが同友会。人生のターニングポイントで常に同友会の先輩経営者に救われたきたと話す姿が印象的です。
思いがけない入社
大学卒業後、福岡の企業に就職し、帰省中当時社長だった叔父に声をかけられ思いがけなく入社することとなります。
入社後は営業として、2トントラックを自ら運転し配送。がむしゃらに働き始めました。会社も主力商品を味噌、醤油からドレッシングなどの加工調味料への移行に舵を切ったため商品開発にも力を注ぐことに。しかし、自信満々で開発した新商品は全く売れないという事態に。原因はおしゃれだけど伝わらないネーミングやパッケージデザイン。客の需要をメインに考えることの重要性を学んだと話します。

沖縄ブームでお土産に観光需要が起こる
入社から10年後に社長就任した座間味氏。2000年に起きた朝ドラや沖縄出身アーティストの活躍で沖縄ブームが起こります。そこから、観光客のお土産需要が注目され、豚肉みそが大ヒット(この商品も当初は油味噌で発売したところさっぱりだったのが、ネーミングを変更して人気商品になった経緯があるそうです)。学校給食がメイン取引先だった状況が一変しました。
また、沖縄の素材を使用したドレッシングの島一番の調味料シリーズも人気商品に。4年前にはISO22000を取得したことで信頼度が増し、県外からの引き合いも多くなったそうです。

素直に参加した同友会活動
同友会入会のきっかけは、当時北部支部の支部長をしていた叔父の付き合い。入会してすぐ全国大会にも参加。2年目には那覇支部南地区長に。特に当時70代の女性先輩経営者が支部長として精力的に活動する上に、貪欲に勉強しようという姿勢を見て大いに感銘を受けたそう。そこから、同友会活動には経営指針作成講座や共同求人などにも参加。那覇支部長や副代表理事を経験し、2024年度から代表理事となりました。
人生のターニングポイントに先輩経営者からの声があった
先輩経営者の皆さんにはとても可愛がってもらえたそうで、経営で悩んだ時や人生の岐路に立った時、常に先輩経営者の言葉に救われたと話します。実際、入会前は他の経済団体などへの参加には大反対していた奥様が同友会入会後は同友会活動を応援してくれるように。それは同友会の学びが大きかったと語ります。自分が変わることで家族との関係が変わり、さらに会社も変わっていくことに。人間的な成長は同友会の影響ということを感じるエピソードです。

同友会が地域を変えていく
『自主・民主・連帯』を掲げ、中小企業が変化するきっかけを作れるのは同友会だけだと話す座間味氏。また、地域に根付いている中小企業だからこそ『地域と共に』活動することに真の意味を持つとも。沖縄の貧困問題も自分たち中小企業家が学び、成長することで地域を変えていく存在になると語ります。だからこそ1社でも同友会の仲間を増やし地域発展に繋げたい。同友会を通して自身が変わった経験を持つからこその言葉には同友会の大きな可能性を感じました。


- 設立:1950年11月3日
- 資本金:1000万
- 従業員:30人(令和6年3月31日現在) ※契約社員含む
- 事業内容:加工調味料の製造及び販売。
- 主な取扱い商品
(味噌、醤油、油みそ、沖縄豚肉みそ、塩ドレッシング、シークヮーサーぽん酢、シークヮーサーこしょうなど)
主な販売先は、学校給食、飲食店、食品工場、卸問屋、お土産品店、病院、介護施設などです。
県外へも取引先が多数あり、通販でも商品を販売しています。 - HP:https://www.akamarusou.co.jp/
- 社員と家族の幸福
- 赤マルソウに係わる方々の幸せ
- 沖縄と地域への貢献
- 私たちは、常に全ての人に感謝しお互いを尊重します。
- 私たちは、常に向上心を持ち、仕事と会社を愛し沖縄に貢献します。
- 私たちは、お客様に喜ばれる安心、安全で幸せになる商品をお届けします。
- 私たちは、整理・整頓・清掃・清潔を毎日実行します。
- 私たちは、私たちと関わる全ての人々のご指摘、ご要望に誠意と感謝を持って対応します。
- 私たちは、日々健康で笑顔で仲良く働きます。
- 私たちは、赤マルソウの資産(原材料、設備、備品、車両等)を皆の共有財産として大切に扱います。
- 私たちに、守れない時間はありません。
- 私たちは、一人一人が仕事に100%の責任を持っています。

- 有限会社アンテナ
- 代表取締役 石原地江氏
- 沖縄県中小企業家同友会 副代表理事
アメリカの大学卒業後、帰沖。当時、翻訳会社で共に働いていた創業メンバーと共に29歳で有限会社アンテナを起業。米軍ビジネスコンサルタント、SAM・WAWF代行、法律手続きに関わる証書の翻訳、インバウンド対応事業、沖縄におけるMICE実施支援などが主な事業。外国語に関するサポートをトータルで提案できるのが強み。社員のほとんどが外国人ということもあり、グローバルな視点とローカルの商感覚を併せ持つ唯一無二の存在。
海外での経験と世界観で起業へ
大きな笑顔と楽しい話題から石原氏の周りはいつも人が集っている。パワーあふれる石原氏は、その生い立ちからかなりユニーク。2歳で父親のロンドン大学留学へ同行し、高校時代にワシントン留学。アメリカの大学在学中にリュック1つで世界旅行をした経歴を持つ。帰沖後、ダイビングショップで働きながら旅行代理店や、英語が使える場を求め通訳会社へ転職。スポーツイベントをきっかけに、当時の同僚メンバーと29歳で起業。2000年に開催された九州沖縄サミットでは、通訳やリエイゾンスタッフを多数派遣して活躍。アンテナ独自のスキルが活かされる結果に。今まで裏方だった通訳が、ビジネスの現場に必要な存在へと変化してきたと語ります。

9.11テロをきっかけに仕事激減
起業して以来、『仕事を探してくるのが社長の仕事』と考えていて日々奔走。増減はあったものの、公共の仕事なども受注し、頑張れば仕事はあるという状況だったそう。ところが9.11テロをきっかけに民間の国際交流はストップ。基地がある沖縄は危険というイメージが広がり創業以来の危機となります。同時期に、一人娘が大病になり出社さえできないという状況に。その時に立ち上がったのが、社員たち。米軍基地が原因で仕事がないなら、基地の中なら仕事がある!と米軍の入札という新しい事業を開拓。これが会社を立て直すきっかけにつながったそうです。この経験から、今まで仕事人間で突っ走てきたのが、社員はパートナーであり社員に頼らないと仕事は成り立たないということに気づいたそうです。

初めて本音で語り合ったことで、
会社に変化が
勉強会で参加した際に、当時同友会の役員していた方から『あなたは経営の勉強をすべき!』と勧められ入会。しかし入会時はなじめずに1年ほどは足が遠のいていたとか。それが女性経営者部会『碧の会』の例会に参加した際、グループ討論で『会社は自分と創業メンバーで起業したから、続けるなんて考えていない、そこそこで良い』と爆弾発言。その場にいた先輩女性経営者に雷を落とされ、なんと2か月後には自身が例会報告者として発表することに。この時から真剣に経営について勉強するようになり、同友会の学びを深めるようになったそうです。
人は人でしか磨けない
経営者としての覚悟を持ってからの同友会活動は、支部活動から始まり体で覚えていったという石原氏。グローバルな感覚を持つ石原氏は同友会活動を活性化するアイデアも多く発案し、支部長から副代表まで一気に活動の幅を広げていきました。同友会の魅力を聞くと『同友会は、社長が社長を磨く唯一の場所であり、ベテラン経営者も起業仕立ての経営者も同じ立場で語れる場が貴重』とその魅力を熱意を込めて語ります。また、自分の失敗も成功も親身になって語り、自社の経営計画書さえも開示し一緒に悩んでくれた先輩がいたから今がある。私自身が同友会に育ててもらったから1人でも多くの経営者に同友会の良さを伝えたい!だからこそ良さを伝えていくという姿勢には、人に磨かれた経験への感謝と思いが強いことを感じました。

経営のバトンを次の世代へ
3年前から社員への事業承継を準備しており、現在40代の男性社員と共に経営やマネージメントを学んでいます。自動翻訳機もますます精度が上がる中、『文化を理解して伝えることは人でしかできない』と信じ、「どのように付加価値をつけて事業を推進していくのか。幹部メンバーと毎日、グループ討論が欠かせません」ピンチのときは、いつも斬新な切り口で新境地を拓いていった経験があるからこそ、自社のDNAを残したいと語る石原氏。同友会らしい人間尊重の経営がここにあると感じました。
- 創業:1997年
- 資本金:500万円
- 従業員:正社員7名 バイリンガル登録約80名
- 事業内容:米軍ビジネスコンサルタント、SAM・WAWF代行
法律手続きに関わる証書の翻訳
インバウンド対応事業
沖縄におけるMICE実施支援 - HP:https://www.antenna-okinawa.co.jp/
- 私たちは、言葉や商習慣の違いを解消するサポート企業です
- 私たちは、外国へ販路を拡大する企業をサポートします
- 私たちは、互いを助け合い、なかまの目標をサポートします

- 有限会社大宮工機
- 代表取締役 宮城光秀氏
- 沖縄県中小企業家同友会 代表理事
1980年に父が脱サラして創業した際は建設機械の販売を主としており(後にレンタル業へ)従業員は甥が1人という状況。1987年に愛媛で就職していた宮城氏の兄が帰沖し入社後、有限会社大宮工機設立。1997年に、大手電機メーカーに勤務していた宮城氏は総務経理として入社。同年、濁水処理事業がスタートします。入社後すぐに超アナログだった会社に、いち早くPCを導入。以来、環境経営や障がい者雇用など次々と改革に着手。同友会活動を自社に取り込みながら『良い経営環境づくり』を追求し続けています。
父に反対された入社
大学卒業後、大手電機メーカーに就職していた宮城氏。大手での順風満帆なサラリーマン生活を捨てて家業に入ることを当初、創業者である父は反対していたそうです。それも当然、宮城氏の入社当時は17名いた社員のうち、半数は親族で仕事の進め方も超アナログ。月末になると残業当たり前という状況だったそう。組織化せねば!という意識と、整理されていない仕入れ、売上、商品管理などを管理するところから手がけていきました。台帳など紙ベースだったものを当時まだまだ高価だったパソコンを購入しシステム化。IT化に大反対だった社内も徐々に受け入れるようになったそうです。

入社2年後に出会った同友会
同友会への入会は入社して2年後。本来なら当時取締役だった兄が入会すると思いきや、他団体に入会したので同友会へは宮城氏が入会することに。しかも、2年間は活動していない幽霊会員だったそう。ところが、同友会大学の受講をきっかけに、経営指針作成講座、南部支部の支部活動など次々と同友会の部会やプログラムに参加。今では、入会資格のない碧の会(女性部会)以外は、ほぼ関わっているという状況に。ここまで同友会活動に惹かれたワケを聞いてみると、幹事長や支部長など役職を重ねていったことで組織運営が学べ、経営者としての視点が広く持てたと語ります。同友会ではよく『役が人を育てる』と言いますが、まさにその言葉のまま。自社へ活かしてきたことがわかります。
学んだことは自社カスタムして実践へ
宮城氏は、同友会での学びをどうやって自社に落とし込むかが大切と言います。まず、自社のなりたい姿を追求したところ、大きな3つの柱が明確に。1つ目は『ITの活用』。社内のペーパーレス化から始まり、ICタグを利用した自社開発のレンタル管理システムは高い評価を受け、多くの表彰や認定を受けるほどに。2つ目は『環境経営』。工事現場などで発生する赤土が混ざった濁水を処理し、河川や海に放流する濁水処理装置は自然を守る取り組みとして評価されています。また、濁水処理装置1台レンタルごとに養殖サンゴの苗を移植放流する取り組みも実施し、沖縄の美ら海を守っています。3つ目は『障がい者の雇用』。施設外就労の訓練生を受け入れており、1年の訓練を経て正社員へと雇用しています。この3つの柱を自社の強みとして掲げているそうです。どれも、なかなか実現が難しく思えますが、宮城氏はトライ&エラーを繰り返し自社に合うようにしていくことが重要と語ります。浸透しないのはまだ落とし込めていないから。とことん自社カスタムすることが定着に繋がると語る表情からは、コツコツと積み重ねてきた経営者としての努力が感じられました。



経営者同士で学べる唯一の場所
同友会の魅力を問うと『経営者同士が自分の経験をベースに経営を学び合える唯一の場所』と語り、だからこそ経営者は会社の大小に関わらず全てを学び続ける必要があるとキッパリ。お互いの経営体験を赤裸々に語りあい、例会で報告を聞きグループ討論する中で課題を共有したり解決の糸口を見出せるのは同友会だけだと強調します。ほぼ全ての同友会活動に参加している宮城氏ですが、自社の弱点を知るには同友会の企業変革支援プログラムで定期的にチェックしているのだとか。同友会を『やる意義』を追求する姿勢はさすがです。
経営者としての次のステージ
長らく社長を務めていた兄から事業承継を打診され、2021年に代表取締役に就任。コロナ禍の中、会社を引っ越し自社物件へ。同年に創業者であった父が亡くなり経営理念、経営方針を見直すことに取り組み変更。社員の待遇改善や、残業を減らす取り組み、土曜日の休業日を増やすなど経営者として精力的に動いているのがわかります。さらに、すでに次の承継を考え部長を取締役に昇格。若い世代を役員にしていくことで、きちんと次代へバトンを渡せるようにしていきたいと語る宮城氏。その見つめる先には、同友会活動を糧に、時代と共にアップデートしていく自社の未来を描いているようでした。

- 設立:1980年
- 資本金:1500万
- 従業員:34名
- 事業内容:建設機械・器具のレンタル、修理及び販売
建設機械・器具のレンタルに付随する業務
濁水処理装置のレンタル及びそれに付随する業務 - HP:https://www.ohmiyakouki.com/
- 人を想い 人が育ち 人に尽くす
- ~誇りと働きがいをもてる企業をめざす~
- 人々の豊かなくらしと環境保全に貢献する
- 私たちは、安全を最優先に活動し社員および関係者の幸せを追求します
- 私たちは、お客様の満足を第一に考え真心を込めて考動します
- 私たちは、企業活動を通して互いに学びあい成長・発展します

- (同)Green Star OKINAWA
- 代表社員 友寄利津子
前職のNPO法人ライフサポートてだこは、2002年に設立。浦添市を活動の拠点として、高齢者や障がいのある人たちとその家族、または一般市民に対し介護・福祉系サービスを提供する事業や街づくりに関する事業でした。前代表が市長出馬するため、突然の代表となった友寄氏。同時に同友会の浦西支部副支部長も引き受けることに。同友会活動を通して、会社も自身も成長したと語ります。
まさに青天の霹靂だった事業継承
中学時代の同級生であった前代表から、高齢者が慣れ親しんだ地元で暮らし続けられるような介護事業を興そうと誘われ、共に起業したのが2002年。浦添市への地域愛の深さから、あえて事業範囲を浦添市のみに限定し地域に根ざした活動を展開していきました。開業時から友寄氏は、副代表としてサポート。主に現場で活躍していてその状況で続いていくと思っていた矢先、まさかの前代表が市長選へ立候補することに。しかも、選挙の半年前の相談だったので、とても、自分では務まらないと最初は、会社を閉めようと話していたそうです。しかし、悩み抜いた末に代表を引き受けることを決心。もともと、現場の中心で働いていたので経営のことは何もわからず、心構えもないままの事業承継。不安だらけのスタートでした。
代表就任と同時に同友会活動もスタート
前代表から引き継いだのは、会社だけではなく同友会活動も。それまでにも、同友会の例会やセミナーなどには参加していたそうですが、いきなり前代表がやっていたからと浦西支部の副支部長を引き受けることに。会社と同友会の役員活動まで同時承継だったというから驚きです。しかし、この経験が大いに役立ったと友寄氏は振り返ります。経営のことは全くわからないゼロからのスタートだったので、まずは数字の見方から。事業経営計画書や就業規則もあるけれど内容がわからないというところから、がむしゃらに勉強していったそうです。
さらに、一年後には浦西支部の支部長となることに。当初は、先輩経営者からの苦言に悩むこともあったそうですが、『成長して欲しいから言ってくれているんだ!』という事に気付いたことで人間的にも成長できたと話します。


支部活動と会社の経営は両輪
支部長時代に、浦添市の浦添市中小企業・小規模企業振興基本条例の策定も経験。政策づくりから関わった事は、大変なことも数多くあったものの大きな財産になったと語ります。思いがけない事業承継だけでも想像を絶しますが、同時に同友会活動でも中心となる支部活動で支部長となり、中小企業・小規模企業振興基本条例制定までやりきるパワーに、友寄氏のしなやかな中にも芯の強さを感じます。リーダーとして、引っ張っていくことができないと同友会でも、会社でもできない。だからこそ、『支部活動と会社の経営は両輪』と友寄氏。
私は、社員に育てられた経営者
がむしゃらに学んで、経営者として順調に進んでいた印象でしたが、社員から呼び出しを受け『会社を潰す気ですか?』と責められる厳しい局面もあったそうです。苦境の時、友寄氏は、大きく変化を感じた2つのポイントがあったと語ります。1つは、経営指針を作成した時。2つ目は、社外での学びは辞めないと自分の覚悟を決めた時。同友会活動始め、社内に不在が続くことを不安視する社員もいたそうですが、友寄氏は社員も積極的に同友会の例会やセミナーに参加してもらい学ぶ環境を整えていきました。もちろん、自分自身も数字を見れるようになり冷静に社内外のことが把握できるようになってきたそうです。その姿勢が社員にも伝わり徐々に、友寄氏の『こんな会社にしてきたい』という思いが浸透。社員がいたからこそ、自身の成長に繋がったと語ります。

居続けて、学び続ける
会社の中で経営者がやるべきことを考えると、最初はいかに儲けるか?というように目先の利益を追いかけてしまいがちですが、今は経営者がやるべきことは、人づくりだなと感じるそう。同友会活動も同じで、仲間づくりは良い経営者を作るための人づくりだし、良い経営者が増えることは、地域づくりにもつながります。今まで、会社がキツイ時もあったそうですが、苦しい時こそ同友会へいくべきだと言います。経営者が本音で語り合えて、時には泣き言も言えるのも同友会の良さ。そのためには、居続けて学び続けることが大切。人を知り、人と関わり続けることが成長につながると話す友寄氏からは、思いがけず置かれた経営者という役を受け入れ、努力を重ねた上に見事に咲かせた落ち着きがあります。
そして今、また新しい会社をスタートさせました。
- 設立:令和4年2月14日
- 資本金:300万円
- 従業員:5名
- 事業内容:居宅介護支援事業所
- 一、経営理念を通して新しい価値を創造し地域の発展へ貢献します。
- 一、成長する喜びを共感し専門性と人間力を高め感謝・感動・希望を広めます。

- マエダ電気工事株式会社
- 会長 真栄田一郎氏
- 沖縄県中小企業家同友会 相談役
マエダ電気工事株式会社は、父である先代が1963年に創業。
主な事業内容は、電気工事サービス・高圧受変電設保守管理サービス業・電設資材卸売業ですが、建築工事会社からの下請けは一切行わず、直接企業や行政と取引するのがポリシー。大きな失敗も経験し、社員と向き合う覚悟を決めた時に、自身も会社も大きく変化したと語る真栄田氏。徹底した経営理念の実践と社員への浸透が重要と語ります。
プレイヤーではなく、マネジメントを目指せ
高校進学時に家業のことも考え、理系に進学するものと考えていたところ、創業者である父から『電気の技術に捉われるのではなく、経営者になりなさい』と諭され、文系に進学。大学卒業後は、マエダ電気工事株式会社に入社したものの、すぐに住友電設九州支店へ出向し3年の勤務予定が、先代が心筋梗塞で倒れ2年足らずで帰沖。専務として就任したものの、年上の常務に回復した先代社長もいて決定権もなく歯がゆい日々。また、自身に電気工事の知識がないため見積もりさえ作れず、他社に依頼して作成してもらうという有様でした。
その頃、取引のあった同業他社が会社を畳むと聞き、工事部長として活躍していた人材をマエダ電気へ移籍させることに成功。技術的な面でのマンパワーが充足しました。(後日談として、他社からも声がけは多くあったそうですが、真栄田社長の人柄に面白さを感じて入社し、今でも活躍されています)

社員と向き合えず、新規事業で大赤字
2001年には、正式に社長へ就任したものの、社員とのコミュニケーションは取れずに退職者が続出。『社長、話があります』と、話しかけられ、退職届を出されるのが一番怖かったとか。現実を直面するのが恐ろしくて外部活動に逃げ場を求め、飲み歩くようになっていました。経営計画書などは作っていたそうですが、会社で説明しても信頼関係が築かれていないので社員は冷ややかな反応。『成功して見返してやる!』という気持ちから、本業とは全く関係ない新規事業をスタート。新しい事業を成功させて実績を作ると意気込んだものの、結果的には大赤字を出すことに。
しかし、この大赤字をきっかけに大きな転機を迎えます。
初めて本音で語り合ったことで、
会社に変化が
初めて一泊の合宿を全社員で行い、社員一人ひとりからホンネで語ってもらうと全員からクレームの嵐。『社長を信用できない』『新規事業は失敗すると思っていた』など、耳を覆いたくなる発言に、最初は怒りを感じていたものの次第に心から申し訳ないという気持ちに変化。最後には泣きしながら社員全員の前で、『電気事業に専念します』と宣言。ここから、真の意味で経営者として、人間としてのスイッチが入りました。
まず取り組んだのは『自分を律すること』『経営の中心に社員の幸せを置くこと』。すると、今までは、話をする時に主語が『お客さんが』だったのが『社員さんが』というように変化したそうです。さらに、合宿で社員も一緒に経営指針を作るようになったことが社員の意識も変化したと語ります。その頃、以前に自身が作成した経営理念も見直そうとしたところ、変える必要性がないことに気付き、その代わり、より理解を深められるように『想い』を追加。理念と併記することで、社員に浸透するようになったそうです。


同友会の学びと経営指針作成講座
真栄田氏は、同友会の中でも重きを置いている経営指針作成講座に長く関わっています。講座の内容を経営者が作成しており、即実践できること、さらにサポーターになるのも経営者なので受講生に現場の経営体験を伝えられるのが大きな魅力と語ります。
真栄田氏自身が特に経営指針には重きを置いており、自社の経営指針作成は毎年全社員で合宿を行い作成。日頃から、損益計算書も理解できるようにしているので数字目標の設定など今では社員が作成すると言います。つまり、経営指針作成は『会社の計画=自分たちの計画』にすることで、自身の行動に変化が生まれたそうです。
自社の経験があるからこそ、同友会の学びにも活かせると真栄田氏は語ります。
目標とする経営者がいるのが同友会の良さ
同友会の魅力は『こうなりたい!思える経営者がたくさんいること』と語る真栄田氏。社員との関係性も見えるので、その人の考え方や生き方を直接、学べるのが同友会の学びとも。1つのエピソードとしてある時、新事業失敗でどん底だった頃に3年後に利益が出たら軽自動車から憧れていた車を買うつもりだと先輩経営者に話したそうです。すると、目標を持つのはいいが、社員に理解してもらえるようにしないといけない。相談せずに欲しい車に乗ることは辞めなさいと諭されたそうです。3年後、実際に利益は出たけれども分相応のものに。こんなことを忠告してくれるのは同友会の仲間だけと語ります。
『経営の話をこんなにホンネで語れるところはない』と明るく話す真栄田氏に、経営理念とは?と尋ねたところ『自分を軌道修正してくれるもの』『自分の目指すところを示してくれるもの』と力強く宣言。大きな失敗や、困難があったからこそ経営理念や経営指針の重要性を感じるのだと思いました。
- 創業:1963年
- 資本金:2,000万円
- 従業員:35名(2018年3月現在)
- 事業内容:電気工事サービス業、高圧受変電設備保守管理サービス業、電設資材卸売業
- HP:http://www.denkiya-no1.co.jp/
- 「人の役に立ち社会から必要とされる企業であり続ける経営をします」
- 「やりがいのある活力に満ちた職場を目指し、 社員とその家族が明るく豊かな生活を営むことのできる経営をします」
- 「社員の資質の向上が組織の発展である」

- 株式会社丸忠
- 代表取締役 喜納朝勝氏
- 沖縄県中小企業家同友会 相談役
1970年、衣類クリーニングを中心にスタートした株式会社丸忠ですが、創業者である義父から事業を引き継いだ際は、債務超過の状態。喜納氏が2001年に代表となってから、リースキン事業とハウスケア事業、トータルコーティング事業にシフト。厳しい経営環境の中で取り組んだのが『採用と教育』。経営指針の実践はもちろん、同友会での共同求人や社長・社員共育塾で人育てにしっかりと取り組んできたことが、健全な財務体質と企業風土づくりに役立ったと語ります。
ゼロどころか、マイナスからのスタート
東京の大手ゼネコンで充実した日々を送っていた時に、義父に会社を継いで欲しいと請われ帰沖。当初は、義父が資金繰り担当で喜納氏は営業の先頭になり奮闘していたところ、会社が債務超過であることが発覚。社長交代が条件の再建策に難色を示した義父と折り合わず、家族と共に横浜へ。数年後の97年に『もう、任せる』という義父からの連絡で再度帰沖。喜納氏は『離れたことで、創業者の思いも理解でき自分にも反省すべき点があることに気付けた』と語ります。義父と喜納氏の間で苦悩した、奥様に対しても感謝の気持ちしかないと言い切る姿に、継承した際の苦労を乗り越えた夫婦としての絆を垣間見えました。(奥様は、現在は専務として会社を支えています)


まず取り掛かったのは人育て
同友会には97年から入会していたそうですが、まず『社長・社員共育塾』からスタート。同時に尊敬する経営者から新卒採用も勧められチャレンジすることに。学生に、敢えて会社の厳しい状況を開示し『だからこそ、一緒に頑張ってほしい』と熱意を伝えたそうです。女性社員の採用も行い、産休育休の制度を整え、人を育てる仕組みづくりを社員と一緒にやってきたと語ります。その姿勢は、実を結び当時の新卒採用した社員は、現在では採用担当して活躍。苦しい時にこそ、人材の採用と教育に取り組むことの重要性を感じます。
大切なのは自分の人生
喜納氏は必ず毎年、社員と共に一泊研修を行いその中で『自分の人生のグランドデザイン』を作成。『自分がどう生きたいのか?』という問いを繰り返すことで、ビジョンを明確にしていきます。さらに、『大切なのは自分の人生であり、人生を豊かにするために会社というステージを使うのだ』と言います。何のために、誰のために働くのかを一人一人が考えることは、会社からの押し付けのビジョンではなく、自分自身のビジョンとなるのでより浸透するという効果が感じられました。
人間力を磨くことの重要性
もう一つ、経営理念やビジョンを浸透させるために重要視しているのは『人間力を磨くこと』と語る喜納氏。特に大切にしているのは『朝礼』と言います。その内容はグループ討論をした後に、発表するスタイル。傾聴と発言することを磨く場にしているそうですが、同友会の学びを自社に上手く取り入れている上に、習慣化しているのは流石と唸るばかりです。さらに、人間学を学ぶ月刊誌『到知』をテキストに社内勉強会も実施。関心のある記事の感想を述べ合うそうですが、ポイントは必ず褒めることだとか。お互いを尊重する社風づくりに役立てているのを感じます。
同友会の理念に共感
同友会の『社長・社員共育塾』には第1期から参加しているほど熱心に取り組まれていますが、特に徹底していると感じたのはグループ討論で話し合った後、必ず社内でフィードバックしているという姿勢。社員はもちろん、社長である自身も必ずレポートを提出し、共有しているそうです。『社長・社員共育塾』に継続して参加することが、組織風土づくりの源となっているのが伝わりました。『同友会の人を活かす経営を自社で実践している』と話す喜納氏に、なぜそこまでできるのかを伺うと、とにかく同友会の理念に共感するし、同友会の歴史や労使見解の成り立ちを知るとますます学びたくなると、きっぱり。参加すればするほど謙虚にもなるし、自社の経営課題のヒントが見つかるとも。理念の実現に向けて常に進化し続けたきた事が、人を大切に活かす企業へとつながる事を感じました。

- 設立:1977年
- 資本金:4800万円
- 従業員:44名 パート・アルバイト6名
- 事業内容:リースキン事業:家庭用、業務用ダストコントロール商品のレンタル
- 代理店事業:ダストコントロール商品の代理店さんへのリース
- ハウスケア事業:事務所・店舗クリーニング、ハウスクリーニング、
- トータルコーティング事業:新築の住宅のフロアコーティング“ミラーコート”、水廻りのコーティング“クリスタルコート”、窓ガラスの断熱フィルムの施工など
- HP:https://kireimaru.jimdo.com/
- 一、キレイには人を幸せにする力があることを広め、幸せな社会づくりに貢献します。
- 一、快適で心地よい環境づくりを通して、お得意様の発展と幸せづくりのお手伝いをします。
- 一、仕事を通して人間力を磨き続けることを喜びとします。

